詩のことばの変遷 展示について

ふくしま「ふるさと写真の日」展は、写真による、それぞれの方々の大切で尊い場所である、ふるさとへの思いを福島県内に住まうもののふつうの暮らしの中で見られる家族、親子、友だちとの笑顔をスナップショットという形で撮影し展示を行っている。

他方、表情からは見えないところの心模様を描くものとして

詩のことばによって描写している表現者である和合亮一さんの詩を取り上げた。

彼の詩のことばは、震災・原発事故以降、多くの人に知られるところとなるが当時、ほとばしっていた詩のことばの数々にみられる「切迫」は時間の経過とともに、穏やかになっていったり、深く思いの沈潜するものとなっていったり変化しているのを時系列で読むと見てとれる。

photo by BRUCE OSBORN / Ozone Inc.


時間の経過の心象風景の変化といったものが、一人の詩人のことばを追うところから見えるものがあるかも知れないと思って2011年の初版刊行の著作から2016年の著作まで3冊を展示した。

 

文芸批評する場でもない、この展示の場では、選者によって、それぞれの本より、本展に通底する感覚のある「ことば」が散見されるいくつかの詩作を展示した。


「ふるさと写真」を撮る過程、また撮り終わった写真から展示するファイナルセレクションをブルース・オズボーンさんが選び終えた後、本展のための添え書きを付し、撮影地区別に並び替え編集していって俯瞰したときに実行委員として感じたものは、震災から5年半という時の経過の中で、もちろんそれぞれが様々な困難を通過して、個々の状況、事情は違えども、撮影に来た異国生まれの写真家を、遠く福島の、それぞれの方のふるさとに足運んだ労をねぎらい、もてなす心が、笑顔という形で表情に現れているのだと感じた。


2011年6月30日初版刊行・和合亮一:著『詩の邂逅』所収 ©2011 RYOICHI WAGO
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「ふるさと」という記憶の深い場所での大切なものたちとのつながりを写真を通して、また、その撮った写真をプレゼントすることを通じて、何事かを為そうとしていた私達の自己満足な思いを遥かに超えて、被災地にある方たちの方が、豊かな心でもって接してくれたという事を悟ったところがある。

 

今年で6年を経過しようという福島の避難者の方たちの心の、ひとつの「豊かさ」の現れである写真展の写真たちに対して、詩のことばには「ふるさと」を不意に追われ、喪うこととなった事への静かな怒りが、一見、穏やかで静溢なることばの内に宿っている。そして、それもまた、福島に住まうものの心の内のリアルである。

 

心という見えない領域をことばでカタチにした詩作を展示することは、だから、写真展示と同じベクトルを持っていると思った。そのように編みたいと思った。

 

なので、写真展だというのに、一詩人の詩のことばが展示されてあるのは、福島に住まい、詩作を続ける方の詩のことばを時系列で追うという試みのためであって、和合氏をことさら讃える意味ではないことを付言する。

 

とはいえ氏の詩作は、この6年の歳月の中で熟成され、練られひとつの詩の到達点に達しているようにも感じた。詩を世に問う方に対して、そのことばを味わうものとしてコメントすべきことはこれ以上も、これ以下もない。

 

選者の編集として許していただきたいのは、時代を遠く隔てて今も、その詩を読むときに、こころの内に響くものを持つ八木重吉の詩を和合氏の詩に並置するものとして、結びの詩として並べてみた。

 

「木」に対して「葉」、「五年」に対して「心よ」を並置してみた。ささやかな編集ではあるが、私達の心は「ふるさと」を希求して止まない。

 

さりとて、誰もが常に「ふるさと」に留まり続けられるわけでもない。「ふるさと」はだから、どこか切ない。

 

八木重吉と和合亮一を並置することが適切なのか、皆目わからない。けれど、この写真展をひらき、むすぶにあたって、この二つを並置することが素敵だと感じたので、そうした。

 

「ふるさと写真の日」展では見えるもの/見えざるもの、そのいずれに対してもその時点でのカタチと姿を求めたいと思った。

 

それを毎年、積み重ねて、俯瞰して眺めてみたときに、ふくしまに生きる/生きてきたという事の幸いを噛みしめることのできる未来を希求したいと願っているからだ。

ふくしま「ふるさと写真の日」実行委員会
丸岡一志

クリスチャン詩人の第一人者者として知られる八木重吉(やぎ じゅうきち、1898年2月9日〜1927年10月26日)東京・町田市に生まれた重吉は、師範学校時代に教会に通い、後に内村鑑三の影響を受けました。24歳で詩を書き始め、28歳で結核を発症。29歳で早世しているので、わずか5年の間に全作品三千篇が結実しました。早世した重吉の詩が世に出るのは、八木重吉の妻、登美子によります。結婚5年後、重吉が当時不治の病だった肺結核で倒れると、後を追うように重吉の死後10年目に愛娘の桃子(享年14歳)、それから3年後に息子の陽二(享年15歳)がみまかります。登美子は家族のすべてを失ってたった一人になってしまいました。

1942(昭和17)年、知人の教会員の勧めで重吉が入院していた病院の事務員となりました。

傷心の登美子を支えていたのは、「桃子、陽二が成人したら親子三人で八木の詩集を出したいと願っていたが、二人とも死んでしまったいま、是非とも詩集をつくらなくては、とそればかり考えている」という一念でした。

登美子のこの願いは思いがけない形で実ります。詩壇の重鎮、高村光太郎が「八木重吉の奥さんが原稿を持って歩いて苦労しているが、詩集を出してやってくれないか」と出版関係者に働きかけてくれたのでした。待望の詩集『貧しき信徒』は1942年(昭和17)7月に刊行されました。よくご存知のように高村光太郎の妻、智恵子は福島県出身で「ほんとの空」という有名な言葉が智恵子抄に残ります。八木重吉と福島の接点は、高村光太郎を通じたささやかなものですが、福島という智恵子の歌った「ふるさと」への思いと同じ、何かを重吉の詩に感じたのだと思います。

2015年4月28日初版刊行・和合亮一:著『木にたずねよ』所収 ©2015 RYOICHI WAGO

2016年3月31日初版刊行・和合亮一:著『昨日ヨリモ優シクナリタイ』所収 

©2016 RYOICHI WAGO

2015年4月28日初版刊行・和合亮一:著『木にたずねよ』所収 ©2015 RYOICHI WAGO

1967年刊行・八木重吉:著『八木重吉詩集』所収

2016年3月31日初版刊行・和合亮一:著『昨日ヨリモ優シクナリタイ』所収

©2016 RYOICHI WAGO

1967年刊行・八木重吉:著『八木重吉詩集』所収


平成28年度 地域経済産業活性化対策費補助金(被災12市町村における地域のつながり支援事業)採択事業

ふくしま「ふるさと写真の日」

ふるさとアイデンティティのつながり継承事業

私たちひとりひとりの心に潜む「ふるさと」という記憶の深い場所での、大切なものたちとのつながりを「写真」を通して掘り起こし、その思いを根付かせ、育み、伝えていきます。